腎臓癌の記憶

2006年12月、腎臓癌根治手術。現在は社会復帰して何ごともなかった様に生活していますが、突然の癌宣告から手術までの熱い記憶を忘れないよう、そして同じ病に罹患した人の命の標になればと記す記録です。
あなたは人目の来場者です。

トップページ - これをやらずに死ねるかブログ - コミュニケーション掲示板 - リンク集


ガンは突如としてやってきた。それは人には抗いようのない運命!

日がな一日、茫然と過ごす罪。

暇に任せて大酒を飲み、不平不満で管を巻き、
頻繁に焦燥と不安に駆られる軟派な魂は、煙草をふかして偽の安堵を得る。
小腹が空いたら無駄に飯を喰らって、人に先んじて好んで惰眠を貪る。
そうして無駄に過ごした私の『昨日』は、
当然ながら何処かの誰かの魂魄が「生きたい」と必死に願った『明日』であったことだろう。
生きたい!という切ない思い、生きろ!という家族の痛切な願いを感じた。
生と死の交錯するところ、笑顔と悲痛な面持や光景がめまぐるしく入替わるところ。
そもそも病棟での入院生活とはそうしたものなのだろう。
自分が入院してはじめて知った。
気付いたら人生の中でずいぶんと権力を付けて来たもので、
そうそう人から怒られることも最近はなかった・・・。
ところが、ひさびさに、ガツンとやられた感じ。まさに晴天霹靂。
あの日、私は癌の宣告を受けた。
私の知らぬあいだに、静かに、ゆっくりと癌は進行し続けていたのだ。
偶然に、癌は人間ドックで見つかったが、それまで自覚症状はなにも無かった。
私は、2006年末に癌(腎臓腫瘍)の部分切除手術をした。
運良く、早期発見と最新の医療技術のおかげで生き残ることができた・・・。
「癌を乗りこえた」というのは、日本語が少し変だ!
なぜなら、私は何もしていない・・・。
ただ、手術台の上で寝ていただけだ・・・まぁ、二度とごめんの苦痛を受けたが。
ともあれ、今、私は、癌ではないのだ! 生きていることはすばらしいぞ!
喉もと過ぎれば・・・、あれほどの癌の熱い記憶が日に日に薄れてゆく。
あんなに痛くて苦しんだのに・・・。
私は今を生きる喜びの源として、あの癌の記憶を掬ってみる。
そしてこの記憶が同じ病気で不安な人にも勇気を与えますように・・・!

2007.5 Starmints





トップページ - これをやらずに死ねるかブログ - コミュニケーション掲示板 - リンク集